2001年「飛鳥」世界一周クルーズ 乗船記(No.100)

5月4日(金)10時前 横浜入港(14時に出港予定)    ドレスコード:カジュアル

 午前4時35分起床。
 クルーズ最後の日の出は、くもり空で見られず。昨夜の大時化は収まったものの、名残の風が強く寒い。
 今日身に着けるもの以外の荷物をすべてキャスター付バッグに入れて、ドアの外に出す。
 6時、船首カメラ映像の録画開始。飛鳥はすでに房総半島先端沖付近に達していて、さすが日本近海、あたりに船影が多い。
 7時過ぎ、浦賀水道に入る。天気は回復し晴れ間が見えてきた。
<朝食>
 8時、飛鳥での最後の食事は、リド・カフェでこれまで通りの野菜中心食とヨーグルト。
 あの方、この方、別れの挨拶。
 左舷側には、これから帰る我が家の目じるし円海山頂のアンテナ群が見える。
 9時、横浜港の入り口「横浜ベイブリッジ」=写真=をくぐる。


橋脚スパン460m、全長860m、海面からの高さ55mの斜張橋

 100日前、この橋をくぐって未知の世界へ船出し、今またこの橋を見れば、ああ横浜に帰り着いた、世界一周を成し遂げた!との喜びを実感する。が、慣れ親しんだこの生活と別れるのも淋しい様な・・・。

<入国審査>
 この頃より、グアムへの入国と同じ要領で、最上階の乗客から入国審査が始まり、船内放送に従って順次グランドホールへ。
 入り口でパスポートを受け取り、対面審査を終えて帰国となる。もうパスポートを預けることもない!神戸で下船の人も同時にとは、ちょっと意外だったが・・・。
 案の定、神戸で下船する呑気なおじさん二人が、船内放送で呼び出されていた。

 予定の10時より早めに、飛鳥は横浜新港の岸壁に左舷接岸し、世界一周クルーズは完了した。部屋のテレビ航路図で、地球一周の一筆書きが完結したのを見届けて録画終了。時に9時40分。
 岸壁には、歓迎演奏の楽団が勢ぞろいし、出迎えの人々の姿も。中に車椅子の婦人が見え、マナウスで下船のKiさんらしい。元気そうでなにより。
 荷物の搬出に続いて、いよいよ最上階の乗客から下船開始。
 船長以下クルーの見送りに笑顔で応え、船医には"お世話にならずに済み、ありがとうございました"と挨拶したら周囲の皆も笑っていた。
 岸壁に降り立ち、皆で協力して作り上げ、左舷プロムナードデッキの手すりに掲げられた横断幕を見上げる。=写真= ほんとうにありがとう。神戸で下船の皆さんさようなら。



<税関審査>
 船内から次々運び出される荷物の山から、7階色ラベルを頼りに自分のダンボ−ル箱12個を捜し出して台車に載せ、バッグを引いていざ税関へ。
 これだけ大量の荷物(全部で2,000個以上?)をどう捌くのかと思ったら、提出した書類を一瞥しただけでフリーパス。考えてみれば、客船で世界一周してきた人が密輸を企てるとは考えにくい。
 そのまま、ペリカン便の受付に直行してダンボ−ル箱12個を依頼する。

<シャトルバス>
 横浜での再会を約して、モンバサで別れた神田英九段が来ている筈と、あたりを見渡すが、なにせ大勢の人で、場所を特定していた訳でもないので諦め、桜木町駅経由横浜駅行きのシャトルバスに乗る。
 昨日の国際仮装行列が雨で順延となり、交通規制が心配されたが、渋滞も無く桜木町駅に着き、港南台まではいつものコース。
 遠くは青森、北海道まで帰る人もいるのに、昼過ぎには家に帰れる地の利に感謝!
「帰る家があってこその旅」と人は言う。厳冬の1月24日に家を出て、桜が散り青葉の5月4日に家に帰ってきた。その間地球を一回りしてきた、ただそれだけのこと。

<後日談>
 5月10日、神田英氏から封書が届き"5月4日横浜まで行ったのですがお会いできなくて、お渡しする予定だった本お送りします。"という趣旨の手紙と共に、日本棋院発行、碁スーパーブックス7「力をつける格言運用法」(神田英著)署名入り本が入っていた。


完!

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No.100