2001年「飛鳥」世界一周クルーズ 乗船記(No.98)

5月2日(水)終日航海 正午位置:横浜へ1,300Km(N24.14)  ドレスコード:フォーマル

 午前7時30分起床。
最後の時差調整があり、時計を一時間戻して、かみさんと、これも最後となる朝のストレッチへ。
 ガラパゴスツアーを除き、船上で時計を一時間遅らせること25回、進めること1回、差し引き24時間遅らせ、消滅した4月23日で相殺したことになり、日本との時差はついに無くなる。
 朝方は前線通過で雨。海は見た目穏やかだが船は揺れる。トビウオは飛ばず、島が近いせいか海鳥が姿を見せる。
 船長の話しでは、"横浜までは時間に若干余裕があるので、途中の島に接近して航行する" とのこと。
 荷造りは明日が本番ということで、みやげ品をダンボール箱詰め(2個)しただけ。

<スーパービンゴ大会>=午前=
 クルーズ最後のファイナルビンゴに出掛ける。頼みのかみさんも運を使い果たしたか、
 二人とも何も当らず。"ビンゴ!"とステージに出て行って、スタッフのチェックで戻された慌て者がふたり。

<昼食>
 和定食(冷しうどん&ごはん)、デザートは雪見大福。
 最初の日本領土、南硫黄島=写真=がよく見えるダイニング・ルーム右舷側に席を取る。同じ思いの人で右舷側は満席。


火山島で、今でも噴火を繰り返している と船長の話し

<卓球同好会>
 13時から、かみさん他と50分ほど楽しんだ後、そのまま10デッキに出て、右舷側に近づいてくる硫黄島=写真=を見る。


左端に摺鉢山、あとは平坦な独特の形の島と 飛来したヘリコプター

 56年前の早春、日米あわせて約三万人の戦死者を出した悲劇の島。双眼鏡で見ると、波打ち際には当時の激戦の残骸が未だに散在している。
 島に駐留している自衛隊のヘリコプターが歓迎に飛来し、飛鳥の周りを旋回する。船長が航空無線で呼び掛けたところ、海上自衛隊のレスキュー用のヘリとのこと。乗客も手を振って応える。
 その中に "慰霊祭はやらないのでしょうか" と、問う人あり。私もそう思うが、船側として主催は出来ないのだろう。それは人の心の問題だから・・・。
 16時30分、この火山列島の北端、北硫黄島に接近する。=写真=




 日課のジョギングは、左舷後方に遠ざかる北硫黄島と沈む夕日を見ながら11周する。かみさんの散歩はいつもの10周。
<キャプテンズ・フェアウェル・パーティー>
 6回目となるフォーマルで、正装して船長主催のさよならパーティーへ。
 船長の挨拶と恒例?のシャンパングラスパフォーマンス=写真=の後、七色の風船が飛ぶ中、乗客、クルー入り乱れフロアーに出て写真を撮ったり、別れを惜しんだり。ホール正面のスクリーンには、"また飛鳥でお会いしましょう"の文字。



<正餐>
 正餐メニューは下記のとおり。




 同席は、慣れ親しんで気のおけないH夫妻ということに。=写真=



 今日正午に、最後(三回目)の精算を済ませているので、アルコール類はサイン不要。
 いつものビールに、白と赤のグラスワイン。

<エンターテイメント>
 グアムで乗船した森山良子のコンサート。
 1967年「この広い野原いっぱい」でデビューというから、ずい分おばさんになったが、透明感のある歌声は健在で、昔のヒット曲の数々と、沖縄戦の悲しみを歌った"ざわわ〜ざわわ〜ざわわ〜"で始まる「さとうきび畑」をじっくり聴く。

 24時10分就寝。

No.98