2001年「飛鳥」世界一周クルーズ 乗船記(No.77)

4月10日(火)8時 イースター島 投錨 18時 抜錨 ドレスコード:カジュアル
チリ本土から3,800Km、タヒチ島から4,000Km離れた、この絶海の孤島は1722年にオランダ人がこの島に初上陸した日がイースター(復活祭)だったのでイースター島と呼ばれるが、正式名はスペイン語でパスクア島、現地の言葉ではラパ・ヌイ(大きな島の意)。
島は三つの火山を頂点とする三角形で、周囲56Km。3,000の島民が暮らし、約1,000体のモアイが眠っているこの島の1/3がチリ最初の世界遺産「ラパ・ヌイ国立公園」となっている。
午前6時40分起床。かみさんと朝のストレッチへ。
さすがに参加者は少なく早めに終了後、イースター島山際からの日の出を見る。
クルーとツアー参加者誰もが心配していたイースター島の天候だったが、これ以上は望めないおだやかな晴天で、絶好の上陸日和となった。
これも、33人が生け贄になってくれたおかげと感謝!未確認情報では、12日に空路到着し、モアイ以外何も無いこの島に三泊して15日にタヒチ島に飛び(約5時間)、飛鳥に合流とか。
無事を祈る。
<オプショナルツアー>
イースター島一日観光(昼食付)163ドル
午前10時、飛鳥よりテンダーボートでハンガロア村の小さな港の岸壁へ。
岸壁よりミニバスに分乗して出発。
海岸沿いの道を行くと、モアイ倒し戦争(1750年頃)によって、顔を下向きにして倒されたモアイが海岸に点在している。
★トンガリキ
1960年のチリ沖地震で倒れ、1993年に日本の大手クレーンメーカー潟^ダノが復元した15体のモアイ像が海を背にして整然と並んでいる。=写真=
その時使用したTADANOのクレーンは島に残り現在も活躍中とか。

足元はアフと呼ばれる祭壇で、立ち入りはタブーとされている
1982年夏に、東京日比谷シティで会ったモアイに再会するのを楽しみにしていたが、ガイドの説明で特定することができた。=写真=
モアイ像が島の外に出たのは、後にも先にもこの時だけとのこと。
1982年モアイ展のチケット 19年ぶりに再会したモアイとラノララク山
★ラノララク
モアイを岩脈から切り出して製造していた場所。山の斜面に製造途中のモアイがあり、現在でも約400体のモアイが放置されたまま土に埋もれている。=写真=
ここから海岸沿いのアフ(祭壇)まで、どんな方法で運んだのだろうか?

頭上の岩山がモアイを切り出していた現場
★アケナビーチ
ビーチの木陰で洋風弁当の昼食。といっても、ツアー説明会の時からこのピクニックランチは期待できないと聞かされていたとおりで、ほとんど手をつけず、念の為に飛鳥から持参のジュースとアンパンで済ます。水着の用意もして来たが、シャワーなどあるわけないので断念。
すぐ近くのナウナウで、プカウ(帽子)を被ったモアイ像=写真=を見る。

★タハイ
1960年代に復元された儀式村跡。
アフ(祭壇)の、前に広場があり=写真=神官の家跡などが見られ、沖に錨泊中の飛鳥を臨む。道端の露店で、20Cmほどの木彫りのモアイ像を10ドルで購入する。

15時15分、港の岸壁に帰着。
岸壁にずらりと並んだ露店で、みやげ品を物色する。今日は奇しくも、餞別をくれた姉の結婚記念日なので、この地で記念品をと思い探した結果、樹皮をなめした紙?に描かれた島の絵を60ドルで購入する。=写真=

島の形は正確(上が北)モアイ像の辺りがラノララク 額は帰国後調達(絵より高い)
17時過ぎから始まったテンダーボート収容作業のため左舷デッキは使えず、ジョギングは右舷デッキを往復すること12回。
18時予定どおり出港。といっても錨を上げて西へ向かうだけで、見送る船も無い。
船尾から、遠ざかるイースター島を眺め、その姿をカメラに収める。
<夕食>
和食(刺身、天ぷら、鯛の塩焼き)で、デザートは抹茶アイス。
夕食後、かみさんは早めに部屋へ戻ったので、一人デッキに立ち、星空が良さそうなのを見てスカイ・デッキへ。
満天の星、天の川、大マゼラン雲もくっきり。すると南十字星の右下に光る物がある。すぐに消えて少し場所を変えてまたパッと光る。数回繰り返してやがて消えた。
いったいあれは何だ!
流れ星にあらず、飛行機にあらず、人工衛星にあらず、残るは「未確認飛行物体」即ちUFO。
目撃者が私一人なので、どうしようもないけれど・・・。
23時00分就寝。
No.77
