2001年「飛鳥」世界一周クルーズ 乗船記(No.56)

3月20日(火)終日航海 正午位置:アマゾン川(上り) ドレスコード:カジュアル

 午前7時35分ゆっくり起床。7時からの朝のストレッチへ。えっ!?。
 ブエノスアイレス出港以来、ずっと北上を続けていたので忘れかけていた時差調整(通算13回目)があり、久々に時計を1時間戻す。
 アマゾン川の遡上二日目、今日も良い天気。
 船長の朝の放送で、"この先のサンタリア島の南に流れる水路の狭い支流に入り、操舵の度に船が傾くので、注意してほしい"とのこと。
 やがて川幅が一気に狭まり、左舷側の岸辺が良く見える様になった。=写真=
 


  この辺は明るく拓けた感じで、なんとなく人の気配がする。
 飛鳥が岸に寄って進んで行くと、カヌーに乗った子供達がしきりに手を振る。
 船長の勧めで、乗客がプレゼントをビニール袋に入れて投げると、懸命にカヌーを漕いでそれを拾い上げる。取り損なうと、むなしく流れて行ってしまうので、川の流れを考えて、少し上流から投げるのがコツ。
 その昔、進駐軍が生家(中央区新富町)近くの川に物を投げ入れ、それを拾いに桜橋の欄干から飛び込んだ兄達の事を思い出す。
 そんな騒ぎで、10時からの特別講演が13時30分に延期となってしまった。

<その特別講演>
 松平 康隆(元全日本男子バレーボールチーム監督、72年ミュンヘンオリンピックで金)
 乗客として夫妻でクルーズ中なのに、船側の要請を断り切れず?(私の推測)、
「世界のスポーツよもやま話」と題して、
 日本の男子バレーボールチームを8年計画で強化し、オリンピックで優勝させた頃の裏話や、監督・役員として体験した世界のスポーツ界のエピソード等を語ってくれた。

<シアター>
 岡村 淳 プロデュースのドキュメンタリーフィルムA
「ブラジルの土に生きて」を見る。
 明治の晩年に横浜で生まれ、17歳でひとりブラジルに渡った夫と京都府出身の妻。
 サンパウロの日系社会の要職に就いて活躍するが、60代で病を得て内陸の農場へ移転した老移民夫婦と岡村 淳との4年間にわたる心の交流のドキュメンタリー。

<夕食>
 和食(ビンチョウマグロの刺身、黒豚ホイル焼ほか)で、同席したH夫妻は、"鏡の間"と称する私たちの指定席?の常連で、今夜とうとう名刺を貰う。

<アマゾンミュージアム>
 今夜はエンターテイメントが無く、クルーズ初の試み「アマゾンミュージアム」。
 グランドホール入り口の水槽には本物のピラニアが数匹泳ぎ、内部をアマゾン博物館風に模様替えし、国立科学博物館館員で、マナウス、ベレンと移住の後、現在サンパウロ郊外在住の、川 芳男が展示物の解説をする趣向。
 明日の朝はいよいよマナウスに到着し、私たちはジャングル・ロッジ一泊のツアーに出掛け本物を満喫出来るので、さして興味もないのだが・・。

<飛鳥名刺事情>
 乗客同士の名刺交換は頻繁に行われている様だが、私は最小限にとどめてきた。その心は、一期一会で、この船の中だけのお付き合いにしたかったから。
 それでも、クルーズ中に貰った乗客の名刺は全部で32枚(他にスタッフ講師等8枚)。
 その内24枚が船内で作られた、このクルーズ専用のもので、何種類かあり、裏に全航路図(この乗船記に拝借)が印刷されているものもあった。
 因みに私が持参したのは、北海道美瑛・拓真館で手に入れた、前田真三の写真入り名刺カードに、ユニセフ製パーソナルラベルを張った特製名刺。


    名 刺 (注:住所等は編集済み)

No.56